沖縄かんたん歴史
 

沖縄旅行に行く前に簡単に歴史を知っておくと、首里城をはじめ世界遺産を見る場合も、
少し、深く理解ができると思います。
ここでは、沖縄の歴史をまったく知らない、今さら聞けない沖縄の歴史を
ごくごく簡単に書いておきます。

琉球王国ができる直前からです。

西暦13世紀頃までの沖縄本島では、沢山の勢力がありましたが、
14世紀頃になると、3つの勢力に統合されました。
沖縄本島の、南部、中部、北部それぞれに王様がいてました。
この時代から、中国と貿易したり沖縄は発展していましたが、
1406年に南部の「尚巴志」さんが中部を征圧し、中部の王につき、
1426年に北部を滅ぼし、
1429年に次の「尚巴志王」さんが南部を滅ぼし琉球王国ができました。
ちなみに、北部のお城のあったのが、本部半島にある世界遺産の「今帰仁城跡」です。

その後、「尚巴志王」さんは本拠地を首里城に移しました。
そして、現在の鹿児島県の奄美諸島や、石垣島のある先島諸島を配下にして、
中国や日本と貿易をして、発展してきました。
黒糖やウコン、織物、陶芸品などを産出しながら、中国のものを日本へ、
日本のものを中国へ貿易するなど、中間的な役割をしていました。
なので、首里城に行くと、片側は中国風、片側は和式の作りになっています。

この琉球王国は、基本的に軍隊や兵を持たない世界では珍しい国だったようです。
しかし、1609年に薩摩藩は中国と貿易している琉球が欲しくなり、
3000名の兵を率いて攻め込みました。
当時の日本は鎖国状態だったので、海外との貿易はとても魅力的だったようです。
そして、軍隊を持たない琉球王国は、薩摩藩に和解を申し入れ、
薩摩藩の付庸国(ふようこく)になりました。
その後も薩摩藩や江戸との関係も保ちながら、
中国との貿易も続け、独自の文化を築き続けました。

しかし日本では、江戸幕府が滅び、明治時代に入ったことで、
1871年琉球王国は強制的に「琉球藩」とさせられ、
その後、廃藩置県が行われ、
その流れで、1879年にはいわゆる「琉球処分」という形で、
沖縄県となり、完全に琉球王国は消滅しました。

日本国となった沖縄では、
教育から文化まで、日本化されました。

その後、第二次世界大戦が始まり、沖縄本島では地上戦が行われ、
沖縄県人口の1/4の12万人以上の方が亡くなられました。
沖縄の方は、日本本土にアメリカが攻め込まないように、
砦として、必死で戦っていました。
しかし、日本は敗戦。
沖縄はアメリカ合衆国の占領下となり、1972年に返還されるまでは、
沖縄へ行くにもパスポートが必要な時代になりました。
その間、沖縄には米軍基地が多くでき、
アメリカ文化も沢山入ってきました。

アメリカ統治時代は、いろんな意味で自由が拘束された状態だったため、
沖縄の方は、米国政府や日本政府への働きかけや、
時にはデモなど何年も何年も戦って、ようやく1972年に日本へ返還されました。
しかし、日本に返還はされたものの、米軍基地は存続したままでの、
返還だったので、今でも、様々な問題となっています。

たくさんの歴史の上に今の沖縄があることを理解しておきましょう。

 

 

 




 
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