私自身、ダイビングもしません。
沖縄に何十回も来ていて、海に入ったのは2、3回。
沖縄料理も特別好きなワケでもありません。
ゴーヤーは苦いし、ナーベラーも食べません。
島らっきょうも、さほど好きではないです。
普通に、キャベツとかキュウリなどの野菜の方が好きです。
ま、食べれないことはないんですが、正直、ゴーヤーチャンプルーとハンバーグとどちらかを選択しろと言われたら、
迷わず、ハンバーグを選びます。
でも、タコライスや沖縄そばは好きです。
そんな、私がどうして沖縄にやってきたのか?
少し、書いておきたいと思います。
私が沖縄への移住を考え始めたのは、30歳前半。
BEGINというアーティストが好きで、20代半ばの頃、BEGINの沖縄でのコンサートを観に来たのが初めての沖縄でした。
当時のBEGINは、沖縄のいわゆる島唄などは歌っておらず、どちらかと言うと、ブルース的な曲調が多く、
BEGIN=沖縄の音楽、とう概念はまったくなかったのですが、
一度、BEGINの故郷も見てみたいと思い、石垣島と本島に行きました。
20代の頃は、年に一回程度、海外旅行などに行っていたのですが、
さすがに、年齢とともに仕事が忙しくなり、なかなか海外に行く時間もなくなっていました。
そんな状況で沖縄へ来たために、飛行機で2時間、パスポートも何もいらず、面倒なこともなく、
2泊3日で来れる沖縄という土地に気安さを感じ、沖縄へ通うようになりました。
当初は、やはり沖縄は、本土とは違って、独特な文化もあり、少しだけ異国な雰囲気があり、
仕事から現実逃避するような感覚で、沖縄へ来ていました。
青い海の綺麗さは癒されます。
ゆったりした空気感も癒されます。
しかし、何度も通ってるうちに、沖縄の海の青さよりも、沖縄の文化や歴史に興味をもちはじめました。
また、沖縄の人と接することがとても楽しくなってきました。
沖縄は元々、琉球王国であって、日本と中国をメインに貿易で栄えた島です。
その後に、日本となり、先の戦争があり、米国統治の時代があり、現在も、基地問題など様々な問題があります。
また、反面、沖縄の人や沖縄の人の生活に接していると、
日本人が忘れた“何か”が沖縄にはまだ残っているように感じていました。
沖縄の様々な問題や、沖縄に残っている「何か」を知りたくて、
様々な本を読んだり、ビデオを見たり、いろいろしていましたが、
例えば、沖縄の過去の歴史を知ろうとすると、
日本や中国の過去の歴史を勉強しないと理解できないことが多くあります。
また、日本のルーツを探っても、沖縄が必ず出てきます。
先の戦争での沖縄の地上戦や、米国統治から返還、そして今の基地問題を考えると、
日本国憲法から、日米安保条約、1960年代の日本の右や左の考え方や政党のこと。
いろいろ勉強しないと、到底理解ができません。
でも元来、勉強嫌いな人間なので、知りたいけど、学者さんほど調べる根気もない。
また、どちらかと言うと、沖縄の様々なことを、肌で感じたいとも思ったのも移住の理由です。
沖縄にはおせっかいな程、親切な人もいます。
また、茶髪の高校生でも、地元の祭りを頑張っていたり、見た目とは違ってとても真面目な高校生もいます。
今の都会では「他人は他人」と干渉しない風潮がありますが、
沖縄では、自分と他人との距離がとても近く感じることがあります。
これは、都会の日本人が忘れて久しい文化のひとつなのではないかと思います。
そんないろんなことを考えているうちに、
いっそのこと、沖縄に住んでしまった方が、沖縄のことが分かるのではないか?
なんて考え始めました。
10代の頃に1年弱、アメリカに留学していたことがあったのですが、
その時に思ったのが、観光で見るのと、実際に住む事によって、知ることの大きさの違い。
同じように、沖縄に住みたい!
という気持ちがフツフツと湧いてきました。
それから、会社へ退職の意向を伝えましたが、
年齢的にも多少は責任のある立場になっていたので、
会社に迷惑をかけないよう、体制を整え引き継ぎに約2年の歳月がかかりました。
そして、退職後、すぐに沖縄へ来たいと思いましたが、
とにかく、沖縄は仕事が少ない、賃金が安いとのこともあるので、
本土での仕事を持って、沖縄でもフリーランスで働ける環境を作ってから沖縄に来ました。
これに1年程度かかっています。
トータル的に3年の準備期間がありました。
自分が20代ならもっと早くに実現できたのかも知れませんが、
さすがに、30代半ばとなれば一筋縄では行きませんでした。
また、恥ずかしながらこの歳で独身ってこともあり、移住できましたが、
家庭があり、子供がいたら、たぶん出来てなかったかもしれません。
子供を連れて、沖縄に移住されてる方もいますが、行動力に脱帽です。