沖縄旅行をもっと楽しむなら、歴史を少しだけ知っておこう!
沖縄旅行で首里城や世界遺産のグスク(城跡)、戦跡を訪れるなら、沖縄の歴史をほんの少し知っているだけで見え方が大きく変わり、理解も深まります。
学生時代のように年号を暗記する必要はありません。
この記事では、沖縄の歴史を5分で分かるように超超超簡単にまとめました。
ブックマークしておくのもおススメです。
【古代〜三山時代】
●1000年代頃(本土では平安時代)
沖縄各地では「グスク(城)」を築き、地域を治める按司(あじ)と呼ばれる有力者たちが現れます。
このグスクが、世界遺産に登録されている、中城城址や今帰仁城址、座喜味城跡などです。
●1300年代頃(本土では鎌倉~室町時代)
沖縄本島は次第に
- 北山(ほくざん)
- 中山(ちゅうざん)
- 南山(なんざん)
の三つの勢力へまとまり、「三山時代」を迎えます。
それぞれが、中国(明)と貿易を行い、経済力や軍事力を競い合っていました。
【第一尚氏・第二尚氏】琉球王国の黄金期
●1429年 琉球王国誕生 第一尚氏時代
中山王・尚巴志(しょうはし)が三山を統一。
首里城を中心に琉球王国が誕生!!
●大交易時代
琉球王国は、日本、中国、東南アジアを結ぶ中継貿易で栄え、
「万国津梁(ばんこくしんりょう)」
と呼ばれる交易国家として黄金時代を迎えます。
●1469年 第二尚氏誕生
王朝内部からクーデターが起こり、
伊是名島出身の金丸(尚円王)が王位に就き、第二尚氏王統が始まります。
💡 この時、王家は血縁とは無関係の新しい王統へ交代しています。
●尚真王の時代、最盛期
第二尚氏3代目・尚真王の時代には、武器の回収、中央集権化、先島諸島(石垣など)まで支配を拡大、琉球王国は最盛期を迎える。
【薩摩侵攻〜琉球処分】二重支配から日本へ
●1609年 薩摩侵攻
1591年、豊臣秀吉が「朝鮮出兵用に、琉球からも兵や食糧を出せ!」と薩摩を通じて命じたのですが、琉球は米を少量しか出さなかったため、1609年、薩摩藩(島津氏)による薩摩侵攻が起きます。
琉球としては中国(明)とも貿易をしており、日本との関係を深くして明との関係悪化を懸念していた。さらに、この頃は琉球も軍事力や経済的余裕も乏しい状態で、戦闘はあったものの、首里城は無血に近い形で明け渡しています。
●二重支配 中国と薩摩
その後の琉球王国は
- 中国へ朝貢を続ける
- 薩摩藩の支配も受ける
という珍しい両属(二重支配)体制となりました。
●1879年 琉球処分
明治政府は軍隊を派遣し、首里城を接収。
最後の国王である尚泰王は東京へ移住し、華族(侯爵)の称号を与えられました。
1901年、59歳で亡くなりました。
これにより、約450年続いた琉球王国は終わり、日本の沖縄県となりました。
尚家末裔の第23代当主である尚衛氏は現在、三重県在住。沖縄での式典などにも度々参加されています。
【沖縄戦〜アメリカ統治】
●1945年 沖縄地上戦
日本国内最大の地上戦となった沖縄戦。
おおまかな流れは次のとおりです。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 4月1日 | 米軍が読谷村へ上陸 |
| 4月上旬 | 中部制圧、北部・南部へ進撃 |
| 4月中旬〜5月 | 首里防衛線で激戦 |
| 5月下旬 | 日本軍が首里から南部へ撤退 |
| 6月 | 摩文仁周辺で最後の激戦 |
| 6月23日 | 牛島満司令官ら自決(慰霊の日) |
沖縄戦の犠牲者
沖縄戦では県民を含め20万人以上が犠牲となりました。
- 沖縄県民:約94,000人
- 日本軍(沖縄出身):約28,000人
- 日本軍(県外出身):約65,000人
- 米軍:約12,500人
※資料によって人数は多少異なります。
●1945〜1972年
戦後、日本本土とは切り離され、27年間にわたるアメリカ統治が続きました。
米軍基地建設のため、多くの土地が接収されました。
一方で、
- 現在の国道58号の整備(当時は1号線)
- 琉球大学・沖縄大学の創設
- 複数の看護学校の整備
- アメリカ文化の流入
なども進みました。
現在では「ポークたまご」や「タコライス」などの食文化にも、その影響を見ることができます。
【本土復帰〜現代】
●復帰運動
1960年代には、「日本復帰」と「平和憲法の適用」を求める復帰運動が活発になります。
●1972年5月15日 本土復帰
佐藤栄作総理時、悲願だった日本への本土復帰が実現しました。
●復帰後
復帰後は
- 道路などのインフラ整備
- 1975年の沖縄国際海洋博覧会(海洋博)
- 首里城の復元
- 世界遺産登録
- 観光産業の発展
などが進み、現在の沖縄観光の基盤が築かれました。
●現在
一方で、現在も全国の米軍専用施設の多くが沖縄県に集中しており、基地問題など戦後から続く課題も残っています。
